まちぼうけの日々

まちぼうけて2代目。

「頭のいいー」とは一体何なのか?

暇なのでつたない頭で考えてみた。


頭のいい悪いは人それぞれの考えだというのを前提とすると、必ずしも「天才=頭が良い」や「馬鹿=頭が悪い」というわけではないと僕は思う。
例えば今ありえる考えとして、パソコンが得意で色々と作品を作れるが、学業はオール1とかで全然出来てないという人は馬鹿と言えるのだろうか?
確かに学業が全く出来てなければ、将来が心配だったりするが、何かしら作品を作るという発想力があるあたり、もしかすると今の学業がつまらなかったりする場合もあり得る話だ。
だからこの世にはそういう人材を発掘する専門学校などがあるのではないか?とテレビで一方的に学業で頭が悪いと決めつけてる人を見ると思う。
だが専門学校という言葉でひとくくりしても良いのか?そう考えると必ずしもそうでないかもしれない。かもしれないというのはもしかしたらこれだけかもしれないという意味だから。
つまり予防線と言う名の逃げ。


某巨大電子掲示板という死語になりつつある言葉で知られる2chや今話題のニコニコ動画ではプロが作ったのではないかと思われる程クオリティが高いMAD作品やオリジナル作品に「才能の無駄遣い」という言葉が必ずつく。
「こんなに才能があるのなら仕事で生かせよ!」や「こんな場所じゃなくてもっと世界で見られるような場所でそういう作品を作れよ!」という風に解釈してるが、作者はこれを見てどう思っているのか。
うれしいのか、それともそっとしておいてほしいのか。はたまた恥ずかしいのか。いずれにしてもありがとうコメントを返す作者は全体の1割もいないだろう。日本人特有の謙遜心があるから。
英会話教室で3年程マンツーマンで教わってた先生がこういう話をした。
「この間友達がとある雑誌の表紙絵を描いて見事採用されたんだ。僕は『すごいじゃん!』と言うと、その友達は『え、そんなことないよ・・・。きっと奇跡だし』と返した。
僕はそこでこう思ったんだ。せっかく褒めてるのに何故日本人は嬉しがらないの?」と。
先にも書いた日本人特有の謙遜心というのはあくまでも日本人だけで、外国では不思議がられるのは無理はないと思う。元々文化も違うからね。
外人はフレンドリーと言うか自分を大っぴらに見せる事に恥ずかしさを持ってはいないが、日本人のほとんどはそれをする事により周りは引かないか、調子に乗ってるのではないかと深く考えすぎたりしてしまう。
それ以前に昔から「立場」という言葉があったから、目上の人は必ず尊敬する。という考えが根付いてしまっていたのかもしれない。
話が少し脱線してしまったが、このことをふまえるとやはり堂々と自分の実力などを主張する事が恥ずかしいという意識がある。だけどほぼ匿名のネットでは個人が特定されにくいのでそういう事が簡単に出来るのかもしれない。
最初に話した頭の良い悪いは、頭の良い発言などをして周りから浮かないかという考えが、ネットという仮面を被る事によって恥ずかしいという考えを捨てられて堂々と発言出来るのだと僕は考えるのです。



こういう文も後々見ればああ頭の悪い文だなあと思えるのだろうなあ。