まちぼうけの日々

まちぼうけて2代目。

うんこ食ってる時にカレーの話するじゃねえ!

食事中にスマホの画面に目をやってると
「食事するか携帯を使うのかどちらかにしなさい」
と静かなる怒りをぶつけられたわけだが、
しかしその間も含め普段からテレビは常時つけっぱなしとなっている。
その時ふと「テレビを見ながら食事をするのも同じことになるのでは?」と思ったが、
おそらくそれは「見ている人全員が『同じ話題』を共有できるので、話題が常にあるという『安心』があるから許されている」
のではないかといった結論に至った。


ほら、スマホの画面なり何かしら手元でやってる人を見ると、その中の世界ってそれを見ている人にしかないわけだし、
そうなると相手側からしたら「何を話したらいいんだ」から始まり、やがて「こっちを見てくれない」などといった嫌悪感が生まれてくるのではないかと。
しかし、これがテレビ(もちろんラジオなどとにかくその「空間」に情報を発信する媒体)だとしたら、もれなくその空間に均一な情報が送られているので、話のネタにしやすい。
すなわち、ここで出てくる安心感が、潜在的に生まれてくるから結果的に許されているのかなと。


さっきの発言の後、続けて「どうせすばこが大人になったら同じように子供がスマホやらゲームで遊びながら食事をしていても文句を言わないんでしょう」や、「それ以前に子供に興味が持てないんじゃない?」といった話につながったのも、おそらくそうなのかなあと。
私らの親、といったら語弊が少なからず生まれるけど、少なくともそれくらいの年代の人の「常識」というのはそうであったように、私らの年代が親になった時、はたしてこういった「常識」はどのように変化してゆくのだろうか。
ちょっと楽しみであり、同時に怖いなと思った瞬間でもあった。